HISTORY
服部カバンの歴史
「服部」のはじまり
「服部」のはじまりは、社史で初代としている服部清三郎の二代前の
服部庄兵衛(弁弥から改名)が、天保元年(1830年)に京都市で、
「伊勢屋庄兵衛」という家号で創業したのが始まりです。
後に、明治18年(1885年)に服部藤輔が旅行用品関連雑貨問屋として
服部商店を京都市(下京区烏丸仏光寺下る)で創設しました。
このときから、「服部」という屋号が始まりました。
法人設立による販売網の拡大

明治43年(1910年)に、服部清三郎が鞄嚢(ほうのう)雑貨卸商として
服部合名会社を京都で設立し、全国主要都市に販売網を拡大しました。
明治44年(1911年)には、兵庫県豊岡市(現在の本社地)に
柳行李(やなぎごうり)の仕入部を設置し、翌年明治45年(1912年)には
大阪市内(東区博労町二丁目18)に支店を設置しました。
清三郎は5男3女の子に恵まれ家族経営を基盤に、
法人設立後は鞄嚢雑貨卸として旅行用品だけではなく、
鞄嚢製品として革靴など多品種の卸業を行い、各地への営業展開をしており、
その後はフィリピン、大陸満州、上海と販売網は海外にもおよびました。

大正2年(1913年)、豊岡仕入部を支店に昇格し店舗を新築しましたが、
大正14年(1925年)の北但馬震災で倒壊。
昭和2年に社屋を再建しました。(一部手を入れておりますが、現在の本社は当時
建設した建物です。※島藤(現:戸田建設)の設計・施工)大正13年(1924年)に
大阪支店代表だった服部作次郎(清三郎の長女婿養子)が二代目社長に
就任しました。
作次郎は、大阪鞄協会会長(第5代)、大阪鞄商工同業組合組長を歴任し、
業界の活動にも尽力していました。

戦後から現在へ

昭和19年(1944年)に、戦災で大阪支店が焼失し、京都本店は
強制立ち退き(隣が5条警察署のため)で取り壊しを受け、両店とも休業状態に
入りました。
翌昭和20年(1945年)に、本社を豊岡市に移転し、
服部清之助(清三郎の次男)が社長に就任しました。
明治44年に柳行李の仕入部としてスタートしておりましたが、
終戦の年に豊岡の「服部」となりました。
昭和46年(1971年)には、株式会社服部を設立し、
服部合名会社の営業権を継承し現在に至ります。

※その後、大阪、福岡で独立した清之助の兄弟も廃業し。京都店のみ作次郎氏が卸売業を営まれ、
服部株式会社として現在に至っています。

昭和46年(1971年)には、株式会社服部を設立し、
服部合名会社の営業権を継承し、近代化を目指して企業発展をしました。
なお、服部合名会社は、不動産などを管理する親会社として存続しております。
昭和52年(1977年)に株式会社服部の二代目社長に服部隆一が就任し、
自身の名前から、ブランド、Ryu’s One(リューズワン)を始め、
CROSSROAD(クロスロード)、VELBA(ベルバ)、
Bluffpop(ブラフポップ)など、ビジネスバッグを中心とした
オリジナル商品を手掛けてきました。
平成20年(2012年)に服部清隆が社長に就任し、現在に至ります。
長い歴史の中で、先代達とそれを支えてくれた従業員や取引先の方々に感謝し、
引き継いできたものを大切にしながら、
鞄を通じてお客様により満足していただけるよう、
社員共々情熱を持って頑張っています。

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